<みずしま1号試作車> |

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三菱自動車の水島工場は、三菱重工水島航空機製作所として、戦争が終わるまで爆撃機を作っていました。
しかし、1945年にアメリカ軍の空襲によって、工場は完全に破壊されてしまいました。
戦後まもなくは平和物資だけを作れというアメリカ軍の指導の下で、弁当箱やアルミを使った日用品を細々と作っていました。
しかし、1949年(昭和24年)にかつてのエンジン技術を使って自動三輪車「みずしま1号」を完成し、自動車メーカーとして名乗りをあげました。
この映像は進駐軍岡山司令官でアメリカ陸軍少佐のエドウィン・ホイットニーさんが1946年6月に撮影した「みずしま6号」試作車発表会の模様です。
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